PARTNER 0 4
 
−翌日−

病院のベッドに涼子は寝ていた。
その傍らで、涼子の同期である沢田真樹が、リンゴを剥いている。
「ぷはぁっっ」
突然涼子の激しい息つぎに、真樹はベッドに目を向ける。
「はあ、はあ、はあ、はあ…」
涼子は目覚めるや否や、肩で息を切っていた。
まるで今までずっと呼吸が出来なかったかのように、夢中で酸素を吸っている。
「大丈夫?!涼子」
横にいた真樹は慌てて涼子に駆け寄り、肩をそっと抱く。涼子はゆっくりと彼女に首を向けた。
そこには彼女を思い遣る心配そうな真樹の顔。
涼子は、側にいるのが真樹である事を確認すると、ようやく安堵の息をついた。

「…真樹…」
「ん?」
「……お風呂、入りたい」

小早川が涼子の病室に着いた時には、午後1時を回っていた。
しかし病室に彼女の姿はない。
まさか自分の知らないうちに退院したのではないかなどと、一瞬不安が過る。
しかし、ベッド脇の棚の上に剥きかけのリンゴを確認すると、少し病室を出ているだけである事がわかった。
安堵の息を漏らし、小早川は側にあった椅子を引き寄せ座り込む。
外はいい天気だ。
少し開け放たれた窓から、春の風が病室に入り込んで来る。
小早川はもう少しここで涼子を待つ事にした。


ガチャッ

しばらくして、前触れもなく病室の扉が開いた。
「おう、小早川じゃねえか」
「村田さん」
入って来たのは、涼子と小早川にとって唯一反目なく信頼し合える上司、村田だった。
上司と言っても彼の役職は巡査長だ。
巡査部長である小早川と、警部補の涼子から見れば役職上は部下であるが、村田は50歳を過ぎている。
30年以上の経験を持つ現場の先輩として、二人は彼を尊敬していた。

村田はノンキャリアであるが、分け隔たりなく他人と接し、他のノンキャリアが持つようなキャリアに対しての僻みや妬みは一切無かった。
また、小早川や涼子に対して気骨のある若者として可愛く思える器量の広さがあった。

「あいつは?…おい、まさかもう退院しちまったんじゃないだろうなぁ」
村田の言葉に先程の自分を思い出して、小早川はくすりと笑う。
「僕が来た時にはもうこんな状況でした。多分、どこかに外してるんだと思いますよ」
剥きかけのリンゴを指差して小早川は言う。
村田はそれを見て状況を把握すると、小早川同様に近くの椅子を引き寄せて腰掛けた。
「お昼に沢田さんが来るって言ってましたから、大丈夫ですよ」
「そうか…。で、どうなんだ?上村の容態は」
「神経と体力が衰弱していますが、2〜3日安静にしていれば大丈夫だそうです。ただ、両腕と両足にひどい打撲傷があるので、しばらく手足は不自由かもしれないですね…」
小早川の説明に、「うん」とだけ言って村田は俯いた。
「跡に残んなきゃいいな…」
少し心配そうにしている村田を見て、小早川が口を開く。
「大丈夫ですよ。それに、骨に異常が無かっただけ、運がいいです」
「だよな。実際、昨日の今日でもう起きてどっか行ってやがる。ほんと、しぶとい女だよ」
そう言って村田はガハハと笑った。小早川もつられて笑う。

「しかし聞いたぞ…お前、謹慎処分願い出たんだって?」
急に笑うのを止めた村田が、真面目な顔で尋ねてきた。
「…今回の件は、どっからどう見てもあいつの責任だよ。お前はあいつに一杯食わされたんだろう?」
そう言って、小早川の顔を覗き込む。
「原因はチームの仲違いですから、僕にも責任の一端はありますよ」
覗き込む村田に内心を覗かれているようで、小早川は努めて冷静に、淡々と答えた。
「だからって二人でキャリアに傷つける事はねぇよ。上村は現場に向いてる女だ。多少出世が遅れても、あいつは屁とも思わねぇ。きっとな。実際、捜一でのあいつの検挙数は大したもんだよ」

一息置いて、村田は更に続けた。
「でもまあ、今ごろ上の連中が会議してるよ。お前の処分は保留だが、おそらく謹慎は免れるだろうな」
「どちらにせよ、涼子さんが居ないんじゃあ、僕もやる事がない。有給でも取りますよ」
「何言ってんだ。始末書があるだろ」
「僕一人で面倒な書類纏めて、終わった頃に涼子さん復帰ですか?流石に、そこまでお人好しじゃないです。今まで溜まってた分、使わせて貰いますよ」
吐き出すように言った小早川の言葉に、再び村田は笑った。

その数秒後、聞きにくそうに村田が口を開く。
「ところでよ…その仲違いって、一体何があったんだ?」
その言葉で曇る顔をする小早川に、村田は慌てて付け足した。
「いや!もちろん言いたくなきゃ無理に聞こうとは思わねぇ…」
「……もう少しうまく僕を使って下さい……」
ぽつりと小早川が呟いた。
村田は何の事か分からずキョトンとしている。
「へ?」
「そう言ったんですよ…。涼子さんが勝手な行動を取る前に」
「ああっっ… たくっ、あいつバカだなあ!」
納得したような顔で、村田は続けた。
「あいつ、お前さんに負けたくなかったんだろうが、今回ばかりは焦り過ぎた。まさかライバルに助けられるとはねぇ。きっと今ごろ悔しがってるぜ」
笑いを堪えている村田に、小早川は怪訝な顔で尋ねた。
「どういう意味です?」
「どうもこうもねぇよ。上村は、出来のいい部下が気に喰わないだけさ。最近あいつ、妙に苛立ってただろ。お前と組んでからだよ」

村田の言う事は確かだった。
小早川が涼子を桃と意識するようになってから、彼も無性に涼子と同等、いやそれ以上の立場に立ちたかったのだ。
恐らくあの事件以来の小早川は、涼子を優れた上司としてでなく、超えたい存在-自分が男である事を彼女に示したいという-いわば女としてしか見れなくなっていた。
自分のその態度に、恐らく彼女も無意識に気付いている。
しかし彼女は、自分が『仕事上に対立する者』として認識してしまった。
両者の方向性のズレが、このような些細な諍いをもたらしてしまったのだ。

「あいつの悪い所は、仕事一本気過ぎる。それが存在理由にまでなっちまってるのさ。更にワンマンだからな。部下は自分の言う通りに動く奴しか使った事がねぇ。そこにお前さんの登場だ。どう扱うかなんて考える事より、お前に自分の活躍の場を取られる事の方がデカかったんだろう」
村田はそれが微笑まし事であるかのような顔で語っていた。
彼にとっては、涼子の一人よがりも可愛く感じられるのだろう。

「しっかし、お前もとんだ上司に恵まれたなあ!」
ガハハと笑って隣にいる小早川の背中をドンと叩く村田に、小早川は曖昧な笑みを浮かべる。
「まあ安心しろ。ライバル視されてるって事は、裏を返せばあいつはお前さんを認めてるって事だ。お前ら、いいパートナーになれるよ」
そう言うと、村田は席から立ち上がる。
そして手に持っていたビニール袋からアンデスメロンを一つ取り出すと、小早川の顔面に差し出した。

「会わなくていいんですか?」
メロンを受け取った小早川が立ち上がって尋ねると、村田は照れたように笑い、出口のドアを開けた。
「上村は殺したって死なねぇ女だ。心配して損したぜ。じゃあ、よろしく伝えといてくれよ」

バタン

ドアが閉まる。
廊下を歩いていく靴音が次第に遠くなっていった。

数分後、ドアが再び開かれた。
入って来たのは、沢田真樹に肩を担がれた涼子である。
涼子は両手足の打撲で、それを動かすのに筋肉痛の倍の痛みが走るので、一人ではまま歩く事も困難な状態であった。
涼子の格好は病院の寝巻きではなく、紺色のスリムパンツに白のシャツを着ている。
真樹が用意した着替えだろう。
「あら、小早川君。来てたのね」
笑顔で真樹が声を掛ける。
彼女は涼子とは正反対の気さくな優しい女性である。
小早川が待っている間、手足の不自由な涼子をお風呂に入れていたようだ。
涼子の濡れた髪と、微かな石鹸の香りから、小早川にはそれがわかった。
あんな事件があったのだ。女性としては、まず身を清めたいと思うだろう。

「別にわざわざ来なくてもいいわよ。ここに来る暇があるなら、署に戻って仕事してなさい」
にこやかな笑顔の真樹に比べ、涼子はしかめっ面だった。
ちなみにこれが涼子と小早川の、事件以来の対面である。
その表情に、救出時のあの弱々しい涼子の態度が夢ではなかったのかと小早川が頭を抱えるのも仕方がないだろう。
「涼子、救世主に向かってその挨拶はないんじゃないの?」
流石にその言い方はないと言わんばかりに、真樹が涼子を嗜めた。
しかしその『救世主』という言葉は更に涼子のプライドを刺激したようだ。

「うるさいわね、別に私は一人でもっ……っきゃ!」
彼女たちがそんな言い合いをしている間に、小早川は涼子に近付き、彼女を抱き上げていた。
「一人でも…?僕が助けた時、涼子さん何て言ってたかなぁ…ええと、確か……」
抱き上げた彼女に顔を近付け、満面の笑顔で言う小早川。
涼子の顔は見る見る紅潮していく。
隣で真樹がクスクスと笑い声を上げた。
「ちょっ、何すんの?!離しなさいよ!……っ痛!」
涼子は顔が真っ赤だ。
よほど狼狽しているのか、態度もまるで子供のようで小早川には可愛く思えた。
涼子は何とか小早川から離れようと体をバタつかせようとするが、手足を動かそうとすると走る痛みに、歯を食いしばっている。
「まともに歩けないんでしょ?無理しない事です」
余裕の表情の小早川は、そのまま抱き上げた涼子をベッドまで運ぶと近くの椅子に腰掛けた。
その様子を微笑ましく見守っていた真樹は、我に返ったように腕時計を見ると、急いで帰り仕度を始める。

「もう行くの?」
不安そうな瞳で涼子が真樹に尋ねた。
小早川と二人きりになる事を避けている事もあったが、それ以上に彼女が今甘えられる人物は、真樹しかいなかったのだ。
「小早川君がいるじゃない?仕事が落ち着いたらまたゆっくり来るから」
真樹はそう言って、念を押すように「大丈夫よ」と彼女に告げて病室から出ていく。
後に残ったのは、むっつり顔の涼子と、にこやかな笑顔の小早川だった。

「メロン食べます?村田さんからですよ。ちょうど涼子さんと入れ違いだったんです」
村田という名前を聞いて、涼子は少し気分が安らいだようだ。
包装も何もないメロン一つのお見舞いが、村田らしく思えて、彼女は少し微笑んだ。
「今はいいわ。それよりも、もう病院はたくさん。帰るわよ」
その一言に小早川は目を丸くする。
「私は病院が大嫌いなのよ」
不機嫌そうに顔を顰めて、涼子は鼻をひくつかせた。
「匂いが厭よ」

 
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